大航海時代

大航海時代

イスラム勢力のご機嫌をうかがいながら、アジアの貴重な産物をやっと入手していたヨーロッパ人たちは、いまや有効な大砲を装備した帆船さえあれば、アジアの海でいくらでも欲望を達成することができるようになった。ローマ時代からの長年の宿望がかなえられたわけである。

 

増田義郎 著『大航海時代』p100より引用

 

大航海時代とは、15世紀末から17世紀半ばにかけて、ヨーロッパ諸国による「地理上の発見」が展開された時代のことです。コロンブスによるアメリカ大陸の「発見」(1492年)、バスコ・ダ・ガマによる喜望峰経由のインド−ヨーロッパ航路の発見(1498年)が皮切りとなりました。

 

アメリカ・アフリカ・アジアなど未開の領域との交易路が開かれたことで、ヨーロッパにはこれまでと比較にならない富や資源が流入するようになり、ヨーロッパの市場が地球規模に拡大する、いわゆる「世界の一体化」が促進された時代でもあるのです。

 

 

大航海時代の背景

オスマン帝国の軍勢に攻め落とされる東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル。ヨーロッパ人が西廻り航路開拓を開始するきっかけとなった。

 

大航海時代の背景には、いくつかの重要な要因が複雑に絡み合っており、それらが互いに影響し合うことで、ヨーロッパ諸国は海を越えて新しい世界に進出することになりました。以下では、ルネサンスによる科学的発展、オスマン帝国の台頭、商業活動の変化、そして主権国家体制の形成という4つの要因に分けて解説いたします。

 

ルネサンスによる知識の蓄積と科学的発展

大航海時代が可能になった背景の一つには、ルネサンス期に蓄積された科学や技術の進歩があります。特に、遠洋航海の成功には、地理学や天文学、造船技術などの発展が欠かせませんでした。

 

ルネサンス期に復興した古代ギリシャやローマの知識に加え、イスラム世界からもたらされた新しい科学技術が、長距離航海を現実のものとしたのです。例えば、改良された羅針盤や天体観測の技術、さらにキャラベル船のような遠洋航海に適した船の開発により、ヨーロッパの探検家たちは未知の海に乗り出すことができるようになりました。

 

とりわけポルトガルやスペインの航海者たちは、この新しい技術を駆使してアフリカやアジアに到達し、さらには新大陸の発見へとつながったのです。このように、ルネサンスの知識と科学的進歩が、大航海時代の始まりを大きく支えたわけですね。

 

オスマン帝国台頭による東方貿易の断絶

大航海時代のもう一つの大きな要因は、オスマン帝国の台頭です。オスマン帝国は15世紀に入ると急速に勢力を拡大し、1453年には東ローマ帝国を滅ぼしてコンスタンティノープルを征服しました。これにより、ヨーロッパとアジアを結ぶ東方貿易のルートはオスマン帝国によって支配されることになり、ヨーロッパ諸国は香辛料やシルクなど、アジアの貴重な品々を手に入れるのが難しくなりました。

 

もともとヨーロッパは、十字軍遠征(11世紀?13世紀)以来、アジアとの交易を通じて商工業が活況を呈していました。しかし、オスマン帝国が東地中海世界を掌握すると、東方へのアクセスが封鎖され、ヨーロッパは深刻な商業的損失を被ります。このため、ヨーロッパ諸国は、「陸路に依らずにアジアへ至る新たな航路」を求めて大西洋に乗り出すこととなり、大航海時代が始まるきっかけとなったのです。

 

なお、この時期に探検家たちが新たに到達した新大陸アメリカには、ヨーロッパにはない豊かな資源や富が眠っていることが判明しました。結果として、ヨーロッパ諸国は大西洋航路の開拓を大成功とみなし、以後、アメリカ大陸への植民地支配が本格化していきます。

 

主権国家体制確立による富の必要性

大航海時代の背景には、ヨーロッパで進行していた主権国家体制への移行もありました。この時期、ヨーロッパでは封建制から中央集権的な王国へと変化が進み、各国は自らの軍事力や統治機構を維持するために、膨大な財政的基盤を必要とするようになっていました。特に、軍隊の維持や官僚制度の整備には莫大な費用がかかり、そのために新しい収入源を求めることが切実な課題となっていたのです。

 

こうした中で、アメリカ大陸の豊富な金銀資源や作物は、ヨーロッパの王国にとって非常に魅力的な財源となりました。スペインは、南アメリカで大量の金銀を採掘し、それをヨーロッパに持ち帰ることで強力な王国へと成長。また、ポルトガルやイギリス、フランスも、アメリカやアジアにおける植民地からの収益で経済基盤を強化し、国家の富と軍事力を増強していったのです。

 

このように、主権国家が強力な軍事力や官僚機構を維持するために、新しい富を求めて世界に進出したという側面が、大航海時代を促進した重要な要因であったのです。

 

 

 

このように、大航海時代の背景には、ルネサンスの科学的発展、オスマン帝国の台頭、商業活動の変化、そして主権国家体制の確立という多様な要因が絡み合っていたのです。新たな航路を開拓することでヨーロッパ諸国は資源を得、その富が国家の発展を支えることとなり、結果的に世界規模での植民地拡大と国際経済の新しい枠組みが生まれたわけですね。

 

大航海時代のプレイヤー

大航海時代の担い手となった主要プレイヤーとしては、ポルトガル、スペイン、イギリス、オランダ、フランスが挙げられます。それぞれが独自の戦略と技術を駆使し、世界中での貿易や植民地支配を競い合いました。以下で詳しく解説していきます。

 

ポルトガル

ポルトガルは、初期の大航海時代をリードした国です。エンリケ航海王子(1394 - 1460)の支援のもと、アフリカ沿岸を探検し、新たな交易路を模索しました。1488年にはバルトロメウ・ディアス喜望峰に到達し、その後、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマ(1460 - 1524)がインドに到達したことで、ポルトガルは香辛料貿易を独占することに成功しています。これにともない、インド洋を中心に広大な貿易ネットワークを築き、アジア、アフリカ、南アメリカに植民地を展開。世界中に海路による交易ネットワークを広げるポルトガル海上帝国を体現したのです。

 

スペイン

スペインは、1492年のクリストファー・コロンブス(1451 - 1506)のアメリカ大陸到達によって、一気に大航海時代の中心的なプレイヤーとなりました。彼の航海はインドへの西回り航路を探すためでしたが、結果としてアメリカ大陸の発見につながり、スペインはこの新大陸で莫大な富を得ることになります。エルナン・コルテス(1485 - 1547)によるアステカ帝国の征服、フランシスコ・ピサロ(1478 - 1541)によるインカ帝国の征服が象徴するように、スペインは金銀をはじめとする資源を本国に大量に持ち帰り、16世紀にはヨーロッパ最強の国となりました。トルデシリャス条約(1494年)により、スペインはアメリカ大陸の大部分を独占したのです。

 

イギリス

イギリスは大航海時代の中期に入ると、急速に台頭してきました。16世紀後半、エリザベス1世(1533 - 1603)の治世下で、イギリスは私掠船や海賊行為を通じてスペインの植民地を攻撃し、次第に海上での影響力を拡大しました。特に、1588年のアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を破ったことは、イギリスが海洋国家として成長するきっかけとなりました。また、1600年に設立された東インド会社は、インド洋やアジアでの貿易を拡大し、後にイギリスの植民地帝国を支える大きな力となります。さらに、北アメリカやカリブ海での植民地経営も活発化し、これらの活動がイギリスの商業的繁栄を促進したのです。

 

オランダ

オランダは、17世紀において「黄金時代」を迎えた国です。スペインの支配から独立したオランダは、東インド会社(VOC)を設立し、インドネシアを中心に東南アジアでの香辛料貿易を支配しました。オランダの船舶技術と商業的手腕は群を抜いており、アムステルダムは当時のヨーロッパの金融と貿易の中心地となりました。オランダはまた、アフリカ、南アメリカ、カリブ海に植民地を築き、17世紀を通して海洋貿易で大きな成功を収めています。オランダの商業航海はヨーロッパ全域に広がり、フランスやイギリスと覇権を争うほどの影響力を誇ったのです。

 

フランス

フランスもまた、16世紀から17世紀にかけて大航海時代に積極的に参加した国の一つです。特に北アメリカに注力し、ジャック・カルティエ(1491 - 1557)によるカナダの探検や、サミュエル・ド・シャンプラン(1567 - 1635)によるケベック植民地の建設などが代表的な業績です。フランスは毛皮貿易を中心にカナダでの植民地経営を進め、同時にカリブ海やアフリカにも植民地を拡大しました。また、17世紀には東インド会社を設立し、インドや東南アジアでの貿易にも乗り出しましたが、イギリスやオランダとの競争は熾烈を極めたことで有名です。フランスの影響力は、18世紀にかけてアメリカ大陸やインド洋での拡大を続けたのです。

 

このように、ポルトガル、スペイン、イギリス、オランダ、フランスという各国は、それぞれ異なる戦略や技術で大航海時代を切り開き、世界規模の貿易と植民地支配を展開したのです。

 

大航海時代の歴史

大航海時代は、15世紀後半から17世紀にかけてヨーロッパ各国が海洋探検と植民地拡大に乗り出した時代で、世界の歴史に大きな変革をもたらしました。以下でこの時代は前期、中期、後期、末期、それぞれの時期における出来事と背景を、歴史的な流れを解説していきます。

 

前期(15世紀後半〜16世紀初頭):ポルトガルとスペインの先駆け

大航海時代の前期は、特にポルトガルとスペインが中心的な役割を果たした時期です。この時期、ヨーロッパではアジアへの香辛料交易ルートを求めて、遠洋航海技術の発展が進みました。

 

まずポルトガルは、その航海技術と探検精神を駆使し、アフリカ沿岸を南下するルートを開拓していきました。ポルトガルのエンリケ航海王子(1394 - 1460)は、その支援者として重要な存在で、アフリカの探検を促進し、最終的に1488年にはバルトロメウ・ディアス(1450 - 1500)喜望峰に到達。陸路に依らない東方アジア世界への道(東回り航路)を開きます。

 

一方、スペインはポルトガルと競争しつつも、西回りでアジアに到達しようと試みました。その象徴的な探検がクリストファー・コロンブス(1451 - 1506)による1492年のアメリカ大陸「発見」です。彼はアジアへの新たな航路を模索して西に向かいましたが、代わりに新大陸に到達しました。このことが、スペインの大規模な植民地拡大の引き金となったのです。

 

この時期、ヨーロッパ各国はアジアやアフリカに到達する新たな航路を模索し、その結果として世界の地理的認識が劇的に広がっていきました。

 

中期(16世紀〜17世紀初頭):植民地帝国の形成と競争

大航海時代の中期には、ポルトガルとスペインがアメリカやアジアで大規模な植民地帝国を形成し始めます。ポルトガルは、1498年にヴァスコ・ダ・ガマ(1460 - 1524)がインドに到達したことで、インド洋貿易を掌握し、アフリカ、インド、さらには東南アジアにまで商業拠点を広げました。一方、スペインは南米や中米での植民地化を推し進め、特にアステカ帝国やインカ帝国の征服が進展しました。エルナン・コルテス(1485 - 1547)フランシスコ・ピサロ(1478 - 1541)といった征服者たちが、現地の文明を武力で制圧し、大量の金銀をヨーロッパに持ち帰りました。

 

この時期には、スペインとポルトガルの競争が激化したため、1494年教皇によってトルデシリャス条約が締結されています。この条約により、世界がポルトガルとスペインの二国間で分割され、各国の影響力が地理的に定められました。

 

しかし、中期には、スペインとポルトガルだけでなく、他のヨーロッパ諸国も航海に乗り出します。とりわけ、イギリス、フランス、オランダが後発の植民地拡大に参入し始め、インド洋やアメリカ大陸での競争が激化したのです。特に、オランダは東インド会社を担い手とした香辛料貿易でポルトガルをしのぎ、インドネシアやアジア全域で影響力を広げるようになります。

 

こうした競争の激化は、ヨーロッパ諸国の海上覇権争いの時代を象徴するものとなりました。

 

後期(17世紀〜18世紀初頭):植民地競争と商業の発展

大航海時代の後期になると、ヨーロッパ諸国間の競争はさらに激しさを増し、植民地経営や商業貿易が本格化。特にイギリスとフランスが特に重要な役割を果たし、スペインやポルトガルに代わって植民地支配を拡大しました。イギリスは特に北アメリカやカリブ海、そしてインドでの植民地拡大を進め、フランスとしばしば対立するようになります。そしてこの対立は、後にアメリカ独立戦争七年戦争といった大規模な戦争へと発展していくのです。

 

また、17世紀後半から18世紀にかけては、奴隷貿易が激増し、アフリカからアメリカ大陸への「三角貿易」が盛んに行われました。ヨーロッパ諸国は植民地経済を拡大するために労働力として多くのアフリカ人を強制的に移送し、これが新世界での農業生産や商業の発展に大きな影響を与えています。

 

この時期、ヨーロッパの商業勢力が世界各地に展開する中、交易ルートはますます複雑化し、アフリカ、アジア、アメリカ大陸がヨーロッパと密接に結びつくようになりました。三角貿易を中心とした新たな交易ネットワークが形成され、これにともない、ヨーロッパ諸国は世界の富を握ることになったのです。

 

末期(18世紀後半〜19世紀初頭):帝国の安定と新しい時代への移行

大航海時代の末期になると、ヨーロッパ各国の植民地支配はほぼ確立し、アジア、アメリカ、アフリカにおける植民地経営が安定期に入りました。この時期、イギリスが特に強力な海軍力を背景に、世界最大の植民地帝国を築き上げています。とりわけ、18世紀後半のインドにおける覇権争いで勝利し、イギリス東インド会社がインド全域を支配下に置くことで、「帝国の宝石」と称す植民地として重要視するようになるのです。

 

また、アメリカ独立戦争(1775 - 1783)やフランス革命(1789 - 1799)の影響により、ヨーロッパの旧植民地では独立運動が活発化しました。特に、ラテンアメリカでは、19世紀初頭に多くのスペイン植民地が次々と独立を宣言し、大航海時代に始まった植民地支配が新しい段階に入ります。

 

さらにこの時期は、産業革命の到来とも重なり、ヨーロッパ各国は植民地の資源を利用して工業化を進めました。産業革命が世界に広がり、ヨーロッパの影響力はさらに強化されましたが、大航海時代に築かれた植民地支配は、新たな形で帝国主義へと移行していくことになるのです。

 

 

 

このように、大航海時代は15世紀後半にポルトガルやスペインの探検によって始まり、次第にイギリス、フランス、オランダが競争に加わりながら、18世紀には世界規模の植民地支配が確立されていきました。最終的には、産業革命とともに新たな時代へと移行し、帝国主義の時代へとつながっていくのです。

 

大航海時代の影響

1502年に描かれたポルトガルによる「地理上の発見」を示すカンティーノ平面天球図

 

上述した通り、大航海時代(15世紀後半から17世紀初頭)は、ヨーロッパ諸国がアジア、アフリカ、アメリカ大陸に新たな航路を開拓し、世界的な交流と植民地支配が進展した時代です。この時期の探検や交易は、世界の歴史に広範な影響を及ぼしました。以下にその主要な影響をまとめます。

 

世界の一体化

大航海時代が始まったことで、ヨーロッパの通商圏が地球規模に拡大し、「世界の一体化」が大きく促進されました。日本を含む世界各地の人々が、ヨーロッパの文明や技術、文化に触れる機会が増え、それによって各地の政治・経済構造に変化が起こったのです。ヨーロッパ人の世界進出は、世界史において転換点となりました。

 

日本には1543年にポルトガル人によって鉄砲が伝えられ、戦争の戦術が大きく変わりました。これにより、戦国時代の軍事バランスが変わり、権力闘争にも影響を与えたのです。また、海を越えた人々との接触によって、日本人は「地球が球形である」という知識を直接得る機会を持ち、アフリカやヨーロッパ、アメリカという「新たな世界」の存在を知りました。ヨーロッパからの技術や知識は、日本人の科学的な知見や世界観に大きな進歩をもたらしたのです。

 

「他者」との遭遇

大航海時代は、ヨーロッパ人が「他者」と遭遇する大きな転機となりました。アジア、アフリカ、南北アメリカなど、未知の地域との接触を通じて、ヨーロッパの人々は異文化を直接知ることができ、庶民層に至るまで世界の広がりを実感しました。特に、マゼラン世界周航(1519年?1522年)によって、地球が球体であることが実証され、長年の理論が実際に確認されたのです。

 

この時代の探検や交易を通じた「他者」との接触は、ヨーロッパ人の「常識」や「概念」を次々と覆し、世界に対する理解を大きく変える契機となりました。こうした意識の変革が、のちの科学革命産業革命に不可欠な要素となり、世界の思想や経済を再構築する土台となったのです。異文化との遭遇は、人々の視野を広げ、知識と価値観の革命を引き起こしたわけですね。

 

キリスト教の拡大

ヨーロッパ人の植民地支配とともに、キリスト教の布教活動が積極的に行われました。スペインやポルトガルは新たに発見した地域でカトリック教会の影響力を拡大させることを重視し、宣教師たちが世界各地へ派遣されました。

 

フランシスコ・ザビエル(1506 - 1552)のような宣教師がアジアやアメリカ大陸で布教活動を行い、キリスト教はヨーロッパを超えてグローバルな宗教へと成長していきます。特に、ラテンアメリカではスペインの征服活動と並行してキリスト教が広まり、先住民の文化や宗教と融合・対立する場面も多く見られました。

 

キリスト教の布教は、ヨーロッパの宗教文化の影響力を拡大し、世界規模での文化的な交流と変容を促したのです。これにより、キリスト教圏はヨーロッパを越え、広範囲な地域にまで及ぶようになったわけですね。

 

東西格差の発生

大航海時代の到来は、ヨーロッパ内部にも大きな影響を及ぼしました。西ヨーロッパ諸国が大西洋貿易を通じて経済的に繁栄する一方、東ヨーロッパはオスマン帝国の影響下で政治的混乱が続き、経済的に立ち遅れることになったのです。西ヨーロッパでは商業や工業が発展し、資本主義経済の基盤が形成されていきましたが、東ヨーロッパは依然として農業に依存し続け、これが東西ヨーロッパ間の経済格差を拡大させる結果となりました。

 

この格差は、後にヨーロッパの政治的・社会的な発展にも影響を与え、西ヨーロッパは商工業主体の社会へと変化していったのに対し、東ヨーロッパは封建的な構造を維持することになったのです。

 

奴隷貿易

新大陸での金銀採掘やプランテーション経営には膨大な労働力が必要でしたが、当初使役されていた先住民は過酷な労働や疫病により人口が激減してしまいました。これに対応するため、ヨーロッパ諸国はアフリカで捕らえた黒人を新大陸に送り込む奴隷貿易を開始。「人類史上最大規模の強制移住」という人権侵害を下地にして、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカを結ぶ「三角貿易」が形成されたのです。

 

この貿易によって、西ヨーロッパは莫大な富を得ることができ、これが18世紀以降の産業革命の原動力となります。一方、アフリカでは大量の人口流出によって社会が崩壊し、多くの地域で経済的・政治的混乱が続きました。奴隷貿易は経済的な発展をもたらした反面、人権を著しく侵害し、数世紀にわたる深い傷跡を残したことを知っておきましょう。

 

 

 

このように、大航海時代は世界を大きく変え、地球規模での経済、文化、政治の一体化を推進しました。それはまた、格差や矛盾を生む一方で、後の産業革命や世界秩序の基礎を築く契機となったのです。

 

大航海時代は、ヨーロッパ史における重要な画期であり、世界の一体化や経済的発展、文化的変革をもたらしました。ヨーロッパ人の世界進出によって生まれた新しい交易路と発見は、近代世界の基盤を形成し、後の産業革命や帝国主義の時代を迎える重要なステップとなりました。大航海時代の影響は、今日のグローバルな世界にも深く根付いています。