メディチ家の紋章
メディチ家(伊:Casa de’ Medici)は、15世紀から18世紀までフィレンツェを支配したイタリアの名家です。金融業により富を築いたコジモ=メディチ(1389〜1464)が財力を背景に、メディチ家繁栄の基礎を築き、フィレンツェで絶大な影響力を行使するようになりました。子のピエロ=メディチ(1416〜69)を経て、孫ロレンツォ・デ・メディチ(1449〜92)の時にメディチ家とその支配下のフィレンツェは最盛期を迎えました。ルネサンス芸術の保護者としても知られます。1737年にガストーネが死去したことで断絶し、フィレンツェの支配権はハプスブルク家に渡りました。
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メディチ銀行を創設したジョバンニ・デ・メディチ
ジョバンニ・デ・メディチ(1360頃〜1429)がフィレンツェにてメディチ銀行を創設し、教皇庁を最大の顧客として、ローマ、ナポリ、ヴェネツィアなどイタリア各地に支店を拡大し、その後のメディチ家隆盛の基盤を作りました。ジョバンニは芸術にも理解があり、芸術家を支援するパトロンとしても活躍していました。
メディチ家のフィレンツェ支配を確立したコジモ=デ=メディチ(在位:1434年 - 1464年)
次代のジョバンニの子コジモの代で、アビニョン(フランス)やロンドン(イングランド)などヨーロッパ各地に支店が拡大し、ヨーロッパ有数の大銀行に成長しました。フィレンツェの国家元首としての地位を手にすると、ミラノやナポリとの外交にも力を入れ、フィレンツェの安定と平和に務めました。
メディチ家最盛期の当主ロレンツォ・デ・メディチ
コジモの孫ロレンツォ(1449―1492)は代々の親の方針を引き継ぎ、イタリア諸国との友好を築くとともに、ルネサンス芸術の保護にいっそう力を入れ、フィレンツェは政治的・文化的に黄金期を迎えました。またロレンツォの次男はローマ教皇10世に選出されています。
メディチ家直系の血筋は、ジャン・ガストーネ(最後のトスカーナ大公)の姉、アンナ・マリア・ルイーザ(1667年-1743年)を最後に断絶したため、現在メディチ家の末裔は存在しません。
メディチ家最後の当主アンナ・マリーア・ルイーザ( 1667 - 1743)
ガストーネは子供を作れなかった為、父コジモ3世は、唯一メディチ家の血を引くマリアをガストーネの次期トスカーナ大公にしようと考えていましたが、結局それも叶わず、マリアも子を授からぬまま死去しました。
メディチ家最後の当主マリアは遺言として「メディチ家のコレクションがフィレンツェに留まり、一般に公開されること」という条件で、全ての美術品をトスカーナ政府に寄贈しています。このおかげで、歴代メディチ家の大量の美術コレクションは、現在フィレンツェのウフィツィ美術館で見ることができるようになっているのです。
フランス系
カペー家/ブルゴーニュ家/ヴァロワ家/ブルボン家/ボナパルト家/オルレアン家/ノルマンディー家/フランドル家
ドイツ系
ハプスブルク家/リウドルフィング家/ズップリンブルク家/ヴィッテルスバッハ家/ロレーヌ家/ハプスブルク=ロートリンゲン家
イタリア系
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