トスカーナ大公国(伊:Granducato di Toscana)は、16世紀から19世紀にかけ現在のトスカーナ州全域を支配した、フィレンツェを首都とする国家です。16世紀後半フィレンツェ公国を前身として成立し、19世紀後半、イタリア統一運動(リソルジメント)の中でサルデーニャ王国に併合されていきました。
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トスカーナ大公国の政治体制は時代や支配者によって変化しましたが、最初は、メディチ家による君主制でした。メディチ家はフィレンツェの有力な貴族であり、その圧倒的財力を背景にトスカーナ地域の支配を確立しました。彼らは公爵として統治し、フィレンツェを中心に政治・経済・文化の発展を促しました。
1737年にメディチ家が断絶すると、ハプスブルク=ロートリンゲン家の統治下に収まりました。ハプスブルク=ロートリンゲン家は、元々オーストリアを中心とした大きな領域を持つ有力な君主家系でした。この家系は、ヨーロッパ全体に影響力を持ち、18世紀と19世紀のヨーロッパ政治に大きな影響を与えました。
ハプスブルク=ロートリンゲン家のトスカーナ大公国統治は、一般に啓蒙専制政治と言われ、科学や教育の発展を推進しました。フランツ・シュテファン大公やその息子であるピエトロ・レオポルド大公は特に知られており、後者は、トスカーナ大公国を近代的な行政と経済体制に改革しました。
しかし、19世紀のイタリア統一運動は、トスカーナ大公国に大きな影響を与えました。ヨーロッパ全体のナショナリズムの高まりと共に、イタリアの統一を目指す運動が広がり、トスカーナ大公国もその動きに巻き込まれました。結果として、1860年にトスカーナ大公国はサルデーニャ王国によって併合され、その後、新しく統一されたイタリア王国の一部となりました。これにより、トスカーナ大公国の時代は終わりを告げ、その地はイタリアの一部となったのです。
トスカーナ大公国は、1569年、フィレンツェ公国のコジモ1世が、ローマ教皇ピウス5世からトスカーナ大公の位を授けられたことで成立しました。以来大公位はメディチ家が代々世襲していきました。この国が栄えていたのは、とりわけコジモ1世(1569〜74年)からフェルディナンド1世(1587〜1609年)の治世であり、コジモ1世が行政改革や優れた外交で政治を安定させ、フェルディナンド1世が税制改革により商業・農業の成長を促進し、高度経済成長を実現させました。
17世紀以降は衰退を始め、スペイン継承戦争(1701〜13年)の結果、ハプスブルク家の支配下に。さらにジャン・ガストーネ(在位:1723〜37年)が没しメディチ家の血筋が断絶すると、大公位も同家が継承することになりました。しかし19世紀中期からサルデーニャ王国主導でイタリア統一運動が活発化すると、イタリアからオーストリア勢力が次々と駆逐されていき、1860年にはついに滅亡。翌年成立のイタリア王国の一部になりました。
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