シチリア王国

 

シチリア王国(伊:Regno di Sicilia)は、12世紀から19世紀にかけて、シチリア島を拠点に南イタリア一帯を支配していた王国です。13世紀の内乱で国土が分裂しましたが、19世紀初頭に再統一がなされ、両シチリア王国が成立しています。

 

シチリア王国の歴史

繁栄

11世紀末、ロジェール1世率いるノルマン人勢力が、イスラム勢力を駆逐してシチリアを征服。1130年その子ロジェール2世が「シチリア王」の称号を得たことで、パレルモを首都とするシチリア王国が成立しました。ロジェール2世は寛容政策をとり、シチリアに根付いていたイスラム文化ビザンティン文化を排除せず、カトリック圏屈指の多文化交流地域として発展させた功績で知られます。ジェノヴァピサ東ローマ帝国・エジプトとの交易を背景に13世紀には繁栄の頂点に達しています。

 

分裂

王国を創始したノルマン朝が断絶すると、その支配権はフランスのアンジュー家に渡りました。しかし1282年、シチリア島でアンジュー家支配に対する大規模な反乱(シチリアの晩鐘)が発生すると、ナポリに逃亡したアンジュー家がナポリ王国の成立を宣言。これで旧シチリア王国領はアラゴン家の支配するシチリア王国と、アンジュー家の支配するナポリ王国に分裂することになったのです。

 

両シチリア王国へ

15世紀以降はスペインオーストリアフランスによる支配を経て、ウィーン会議でシチリア王国とナポリ王国の併合が決定し、両シチリア王国が成立しました。