アメリカ独立戦争の開幕戦となったレキシントンの戦い
アメリカ独立戦争は、1775年から83年にかけて、イギリスと、イギリスからの独立を目指すアメリカ13植民地の間で行われた戦争です。最終的に植民地軍が勝利し、1783年にはパリ条約で正式にアメリカ合衆国の建国が承認されました。なおこの戦争は、イギリスに敵対するヨーロッパ国が独立勢力を支援する形で介入したため「ヨーロッパ勢力の国際戦」としての性格も孕んでいます。
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愛国派とは、アメリカ独立戦争期に独立を推進した勢力です。ボストン茶会事件に対する経済制裁に抵抗し、大陸不買同盟を結成。独立戦争の口火を切り、独立軍の主体となりました。
王党派とは、イギリス国王への忠誠を誓い、アメリカの独立に反対していた勢力です。愛国派とは軍事的・政治的に対立し、アメリカ独立戦争においては、多くの王党派がイギリス軍に加わって共に戦いました。
アメリカ独立戦争中にアメリカ13植民地の中央政府としての役割を果たしたのが「大陸会議」と呼ばれる代表者会議です。
1774年にイギリス本国が成立させた「耐えがたい諸法(懲罰諸法)」対抗すべく第一回会議が開かれ、イギリス製品ボイコットなど反英運動の方針が決定。1775年第二回大陸会議でジョージ・ワシントンをアメリカ軍総司令官に任命し、以後大陸会議は独立戦争遂行の司令塔として機能するようになったのです。
そして1776年春、大陸会議にてアメリカ独立宣言が採択され、89年に合衆国憲法の下で新政府が成立するまでアメリカ合衆国臨時政府としての役割を果たしました。
きっかけは北アメリカ13植民地によるイギリス本国の重商主義政策への反抗でした。実質の世界大戦といえる七年戦争でジリ貧だったイギリスは、財政難打開のため植民地に対し課税強化法案(砂糖法・印紙法・タウンゼンド諸法・茶法など)を次々と制定します。
この重税により植民地における反英運動が加熱化していき、東インド会社の積荷である342個の茶箱を海に投げ出すボストン茶会事件(1773年)が発生したのです。これに激怒した本国イギリスの制裁は、火に油を注ぐ結果になりました。
ナサニエル・カリアーにより書かれたボストン茶会事件の様子
1774年、植民地代表はイギリス本国に抵抗するため大陸会議を開催。イギリス製品ボイコットによる経済制裁が決定しました。
制裁合戦で緊張が高まる中、75年ボストン北西のレキシントンで植民地軍とイギリス軍の軍事衝突が勃発。この戦闘によりアメリカ独立戦争の火蓋が落とされ、13植民地を束ねる総司令官にはジョージ・ワシントンが就任しました。
イギリス軍との武力衝突が続く中でしたが、大陸会議は1776年イギリスからの独立を宣言(アメリカ独立宣言)。翌年には合衆国憲法を制定し、独立の既成事実を作って一気に士気を高め、独立闘争に消極的な保守派もけん制しました。その後、イギリスの仇敵であるフランス・スペイン・ロシア・プロイセンなどヨーロッパ諸国からの支援を得て、最初は苦戦していたイギリス軍に対し優位に立てるようになります。
戦況がアメリカ優勢で運ぶ中、1781年ヨークタウンの戦いでイギリス軍を包囲・降伏に追い込みます。これによりアメリカ側の勝利が決定的となり、83年にはパリ条約でイギリスがアメリカ合衆国の独立を正式に認めたことで、アメリカ独立戦争は終結しました。
アメリカ側の勝利を決定づけたヨークタウンの戦い(1781年)
アメリカ独立戦争は、1783年に締結(1784年批准)された講和条約パリ条約により終結しました。この条約により、イギリスはアメリカ合衆国の独立を承認し、ミシシッピ川以北をアメリカ領として認め、西インド諸島トバゴ・セネガルをフランスに、フロリダ・ミノルカ島をスペインに割譲する結果となりました。
イギリスは最大の植民地市場を喪失することとなり、「イギリス第一帝国」は終わりを告げたのです。(植民地経営の重心はインドに移り、「イギリス第二帝国」が開始)
イギリスの力を削ぐため、独立軍を支援したフランスですが、軍事費が嵩んだため戦後は財政難に陥ってしまいました。そこで国王は課税のために「三部会」と呼ばれる身分制議会を開催するのですが、これが導火線となり、のちに王政転覆に繋がるフランス革命を引き起こすことになるとは夢にも思わなかったでしょう。
フランス革命はその後、フランス革命戦争、ナポレオン戦争とヨーロッパ全域を巻き込む戦争に発展していきました。戦後はヨーロッパ各地で市民革命が連鎖し、中世由来の体制(「アンシャン・レジーム(旧体制)」)が次々と打倒されていくなど、アメリカ独立戦争は、ヨーロッパよりはるか遠い土地で起こった戦争ですが、間接的にヨーロッパ史を大きく揺るがしたといえるのです。
アメリカ独立戦争は富の分配、信仰の自由拡大など、変革を推進する役割も果たしたことから「アメリカ独立革命」とも呼ばれています。そして大西洋をとりまく環境で行われた「アメリカ独立革命」も「フランス革命」も、互いに近代市民社会形成に大きく貢献したことから、ひとまとめに「大西洋革命」と呼ばれることもあります。
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