19世紀に描かれたイプソスの戦いの様子
イプソスの戦いは、紀元前301年、現トルコ中西部イプソスで起こった、アレクサンドロス3世 (大王) の後継者を巡るディアドコイ戦争の戦いの1つです。この戦いにより半世紀近く続いたディアドコイ戦争は終結をみて、広大なマケドニア領土は3つに分裂する結果となりました。
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紀元前323年、アレクサンドロス3世が死去すると、マケドニア各地の有力者が、その広大な領土を継承する後継者として名乗りを上げ、ディアドコイ戦争が開始されました。イプソスの戦いが起こったのは、以来半世紀近くに及ぶ戦争の終盤にあたります。この時点では、ギリシアと小アジアを支配するアンティゴノスが優勢でしたが、アンティゴノスの帝国再統一の野望を阻止するため、その他の有力者は反アンティゴノス連合を結成。前301年、両勢力が現在のトルコ中西部にあたるイプソスで衝突したのです。
イプソスの戦いは現在のトルコ、アンカラ近郊のイプソスという地で起こりました。これは古代ギリシア時代の地名で、現在はトルコのアンカラ県に存在します。
戦いは連合軍の勝利という結果に終わりました。しかし広大なマケドニア領土は、マケドニアはアンティゴノス朝、シリアはセレウコス朝、エジプトはプトレマイオス朝と、3勢力で分割されることになり、ついにアレクサンドロス大王に築かれた世界帝国が再統一されることはありませんでした。
その後も各地域での戦闘や政治的な争いは続き、結局、ディアドコイたちの間で勢力均衡が保たれることとなりました。この時期のギリシアおよびヘレニズム世界は混乱期にあり、権力の奪い合いや領土の再編が慢性化していたのです。
イプソスの戦いは、アレクサンダー大王の帝国後継者たちの間の争いの中で特に重要な戦闘とされています。この戦いにより、アレクサンダーの帝国は分裂し、後のヘレニズム文化の形成や地域の政治的な変動に大きな影響を与えました。
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