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マケドニア戦争は、ギリシア世界の盟主マケドニア王国と、イタリア半島を拠点に地中海世界で勢力を拡大していた共和政ローマとの間で、前215年から前148年まで四次に渡って行なわれた戦争です。ギリシア世界の命運を左右する戦いでしたが、最終的にはローマが勝利し、マケドニア王国は滅亡、ギリシア全土はローマの支配下に置かれることになりました。この戦争終結を境にヨーロッパ文化の牽引役はギリシアではなくローマへと移っていきます。
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項目 | 詳細 |
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期間 | 前214年 - 前205年 |
対立者 | ローマ共和国とマケドニア王国(フィリッポス五世) |
主な戦場 | イリュリア、ギリシャ |
背景 | ローマがイリュリアの海賊行為を口実に介入。フィリッポス五世がカルタゴと同盟し、ローマと敵対。 |
主な結果 | 戦争は決定的な勝利には至らず、フィロネイダイの和約により両者が元の領土に戻る形で和平が成立。 |
カルタゴと同盟を組んだマケドニアと共和政ローマと対立から第一次マケドニア戦争に発展しました。本格的な交戦は行なわれませんでしたが、戦時中に行われたローマ軍のギリシア人に対する残虐行為は、ギリシア市民の反ローマ感情に火をつけることとなりました。
項目 | 詳細 |
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期間 | 前200年 - 前196年 |
対立者 | ローマ共和国とマケドニア王国(フィリッポス五世) |
主な戦場 | ギリシャ、特にケルキス山脈、アオス川 |
背景 | フィリッポス五世がエーゲ海の島々や都市に圧力を加えたことによるギリシャ都市の要請に応じて、ローマが介入。 |
主な戦闘 | キュノスケファライの戦い |
主な結果 | ローマの勝利。フィリッポス五世は講和を求め、アペイロスの和約が結ばれる。これによりフィリッポスは影響力を大きく失い、ローマのギリシャにおける影響力が増大。 |
第二次マケドニア戦争は、東地中海で覇権を広げようとするマケドニアにローマが介入した結果起こり、マケドニアはアオウスの戦い、キュノスケファライの戦いでローマに破れ、ギリシア南部、トラキア、小アジアなど多くの領土を失う痛手を負いました。
項目 | 詳細 |
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期間 | 前171年 - 前168年 |
対立者 | ローマ共和国とマケドニア王国(ペルセウス) |
主な戦場 | マケドニアとその周辺地域 |
背景 | フィリッポス五世の息子、ペルセウスが王位を継ぎ、父の野望を引き継いでローマに対抗しようとしたため、ローマがこれに対処するために戦争を開始。 |
主な戦闘 | ピュドナの戦い |
主な結果 | ローマの圧倒的な勝利。この戦いによりマケドニア王国は完全に解体され、ローマの属州となる。ペルセウスは捕らえられ、ローマに連行された。 |
第二次マケドニア戦争以降、親ローマへと路線変更をしていたマケドニアですが、ピリッポス5世の死後、後継のペルセウスがギリシア市民の反ローマ感情につき動かされ、敵対的な姿勢を押し出すようになりました。しかし前168年のピュドナの戦いで大敗を喫し、王朝は断絶。マケドニアは4つに分割される自治領としてローマの間接支配を受けるようになりました。
項目 | 詳細 |
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期間 | 前150年 - 前148年 |
対立者 | ローマ共和国とマケドニア王国(アンドリスコス) |
主な戦場 | マケドニア |
背景 | アンドリスコスが自称ペルセウスの息子としてマケドニア王位を主張し、ローマに対抗し独立を試みた。 |
主な戦闘 | 第二次ピュドナの戦い |
主な結果 | ローマが再び勝利し、アンドリスコスを捕らえた。この戦争によりマケドニアはローマの直轄地とされ、完全な属州となった。 |
マケドニア王の末裔を自称するアンドリスコスが、反ローマ闘争を起こしローマからの自立を宣言。しかしこの戦いも結局ローマの勝利に終わり、ついに自治領すら廃止されて、マケドニアは完全にローマの属州とされてしまいました。かつてインドにまで及ぶ一大勢力を築き上げたマケドニア王国の歴史はここで完全に終わりを迎えました。
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