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マケドニア戦争は、ギリシア世界の盟主マケドニア王国と、イタリア半島を拠点に地中海世界で勢力を拡大していた共和政ローマとの間で、前215年から前148年まで四次に渡って行なわれた戦争です。ギリシア世界の命運を左右する戦いでしたが、最終的にはローマが勝利し、マケドニア王国は滅亡、ギリシア全土はローマの支配下に置かれることになりました。この戦争終結を境にヨーロッパ文化の牽引役はギリシアではなくローマへと移っていきます。
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期間:紀元前215年〜紀元前205年
カルタゴと同盟を組んだマケドニアと共和政ローマと対立から第一次マケドニア戦争に発展しました。本格的な交戦は行なわれませんでしたが、戦時中に行われたローマ軍のギリシア人に対する残虐行為は、ギリシア市民の反ローマ感情に火をつけることとなりました。
期間:紀元前200年〜紀元前197年
第二次マケドニア戦争は、東地中海で覇権を広げようとするマケドニアにローマが介入した結果起こり、マケドニアはアオウスの戦い、キュノスケファライの戦いでローマに破れ、ギリシア南部、トラキア、小アジアなど多くの領土を失う痛手を負いました。
期間:紀元前171年〜紀元前168年
第二次マケドニア戦争以降、親ローマへと路線変更をしていたマケドニアですが、ピリッポス5世の死後、後継のペルセウスがギリシア市民の反ローマ感情につき動かされ、敵対的な姿勢を押し出すようになりました。しかし前168年のピュドナの戦いで大敗を喫し、王朝は断絶。マケドニアは4つに分割される自治領としてローマの間接支配を受けるようになりました。
期間:紀元前149年〜紀元前148年
マケドニア王の末裔を自称するアンドリスコスが、反ローマ闘争を起こしローマからの自立を宣言。しかしこの戦いも結局ローマの勝利に終わり、ついに自治領すら廃止されて、マケドニアは完全にローマの属州とされてしまいました。かつてインドにまで及ぶ一大勢力を築き上げたマケドニア王国の歴史はここで完全に終わりを迎えました。
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